網走のリンゴ [ちょいと…]
職場の庭に実ったデリシャスです。今年は数が少ないのですが、去年より大きなリンゴが生りました。
リンゴといえば、昭和40年代初めの頃まで網走の呼人地区は、リンゴの生産地だったのです。網走の史跡標柱ガイド「網走歴史散歩」によれば、「盛んだった昭和17、8年(1942~1943)ころには、りんごの栽培面積は100ヘクタールをこえ、栽培農家は30戸を教えました。海外にまで知られ、東京に出荷するほどでした。紅玉、旭、豊玉、生娘、国光、デリシャス、インドなど、なつかしい名前のりんごの種類が作られていました。呼人はりんごの生産地として、知られるようになりました。」なのです。
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